集合場所から市バスで摩耶ケーブルの乗り口まで移動、そしてケーブルカーに乗る。虹の駅というところに到着、ここからはロープウェイに乗る。
頂上・星の駅に到着、ここは正式には摩耶山掬星台(マヤサンキクセイダイ)という。日本三大夜景の1つに数えられていて、関西では人気ナンバーワンの夜景スポットである。
この日最初の史跡は八州嶺の碑という石碑だ。海岸防備のため大阪湾を一望できる場所を探していた幕府が、摩耶山に登った時にはるか遠くまで見える事にちなんで八州嶺と付けたのだそうだ。テキストの丸写しで申し訳ないのだが、八州とは摂津・和泉・紀伊・河内・淡路・播磨・讃岐・阿波の事である。「紀伊って、そんな所まで見えるの!?」と疑問に思ったのだが、現代の空気がかなり汚れているのか、昔の人は遥か遠方まで見えるぐらい視力が良かったのか・・・。
下山して、住宅街を歩くと長州藩ゆかりの海蔵寺に着いた。文久3年、兵庫の警備に当たる時ここを陣屋としたそうだ。この年は日本各地でいろんな事が起こっており、まさに激動の年と言えよう。
バス道を歩いて行くと、ひょっこりと出てきたのは徳川道の案内板だ。徳川道とは簡単に言うと西国街道のバイパスだそうだ。西国街道での外国人と大名との衝突を避けるためバイパスを造ろうとしたのだが、鳥羽・伏見の戦いが起こりそれどころではなくなったとの事。テキストには、徳川道(幻の参勤交代ルート)とあった。
長谷講師に、この案内板はどうやって見つけたのかと聞くと「車を走らせていたら偶然目にしたのです。」と言っておられた。石碑などを見つける時って案外そういうものなのかも知れないなぁ、と思った。午前中はここまでで、市バスで阪急三宮駅へと移動して駅周辺でランチ休憩をとる。
午後の部の最初は、駅前の旧西国街道と書いてある石碑である。かなりの人でごった返す歩道で石碑を写真に撮る。当然の事ながら、通る人全てがなんだか変な顔をしていた。確かに私たちは邪魔だっただろうなぁ・・・。
三宮駅周辺にはいろんな史跡がある。まずは三宮神社へ足を運ばせる。ここは、神戸事件発生地でもある。神戸事件とは、生麦事件と同じような事件である。生麦事件の方が発生年は早いのだが、先出の徳川道はそれを懸念しての計画だったのだ。しかし、計画を中止したがために結局第2の生麦事件が起きてしまったという訳である。
その次は生田神社へ向かったのだがここは、今や知らない人などいないと言う神社ではないだろうか。歴史好きの人なら源平合戦で有名な“生田の森”がある所として認識しているが、やはり今年2月17日の『紀香・陣内 挙式の地』として、歴史にあまり興味がないと思われる若者にも知られた神社である。この日もいろんな世代の参拝客(やはりカップルが多かった)で境内はにぎわっていた。
そこから道路を西に向かって歩くと、旧兵庫県庁舎がある。館内には県政資料館があり、歴代の兵庫県知事の写真が飾られているとの事だがこの日は休館日だった。
さらに歩いて行き、次の石碑は“東郷井”という東郷平八郎寓居跡である。神戸にて軍艦を建造中だったので監督官として派遣されていた時に住んでいたとの事。昨年横須賀へ行った時に軍艦『三笠』を見たのを思い出した。あの軍艦は本当にカッコ良かったなぁ・・・。
次は、伊藤博文寓居跡である。伊藤博文は初代の兵庫県知事であったから、先出の旧兵庫県庁舎から程近いこの場所に住んでいたのだ。テキストには庄屋の別邸とあった。敷地面積はさぞかし広かった事だろう。
しかし、いつもはJRや阪神などの電車で向かう元町やハーバーランドを、こんなふうに歩くのはなんだか新鮮で面白かった。
次もまた大きな神社である。そう、湊川神社だ。ここも生田神社と同じく有名な神社で、祭神は南北朝時代の英雄・楠木正成である。足利尊氏と戦って、形勢不利と覚悟した正成は弟・正季と刺し違えて、この地で最期を遂げられたのだそうだ。
この神社は数多くの歴史的有名人と関わりを持っている。まず、水戸黄門で有名な徳川光圀で楠木正成の墓碑を建立している。そして、坂本龍馬もこのお墓に参っている。他に、伊藤博文・江藤新平・大木喬任・大隈重信は石灯籠を奉納している。その灯籠が建っている辺りで宮司さんから神社にまつわるいろいろな話を伺った。何体かの灯籠は、阪神・淡路大震災の時に倒れてしまい修復不可能となってしまったのだとか。写真も残っていないとの事で、非常に残念であった。
次は大蔵山公園に移動した。かなり広い敷地で犬を散歩させている人が多かった。公園の中の伊藤博文の銅像があった跡地へ行くと、台座が残っていたのだが何かの形に似ていた。何だったかな、と思っていたらテキストに書いてあった。国会議事堂の屋根の形に似ていたのだ。この形をモチーフに国家議事堂の屋根が作られたとの事で、国会と神戸市の接点を見つけたと少し得意気になった。ちなみに、ここ大倉山公園は鹿鳴館や帝国ホテルなどの設立者である大倉喜八郎の別荘跡だそうだ。
JR神戸駅まで行くと本日の行程もラストスパートだ。1駅先の兵庫駅へ向かうため電車に乗る。兵庫駅からは歩いてすぐらしい。
まずは八王寺へ向かった。第2次長州征伐の際に、幕府側が前線の状況うかがいに屯所としたのがこの八王寺である。次は、石碑などはないが幕末の頃その辺りに花街があったという説明だった。立っている道路が西国街道だったとの事で、そういう場所には必ず(と言っていいのか分からないが)花街があったのだろう。龍馬をはじめ多くの幕末の志士が通ったらしく、「長い旅路で疲れた体をこの辺りで癒していたんだなぁ・・・。」と当時の面影は何もない辺りを見回しながら花街の風景をイメージした。
無事にこの日の行程全部が終了し、あとは2次会の居酒屋へと足を運ぶだけとなった。
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