2002年(平成14年)−創立15周年
 1月 1日
会報「龍馬速報83号」発行 40頁 
復活!! 神戸海軍操練所跡石碑
  • 創立15周年記念総会・講演会のお知らせ 
  • 龍馬暦検討についての日々(小川満也) 
  • 龍馬暦日誌 
  • 龍馬暦反応あれこれ葉書とホームページ
  • 龍馬暦新聞掲載記事 
  • 泣きなさい笑いなさい花を咲かそうよ(桧垣義広) 
  • もうひとつの墓前祭(三輪ひとみ)
  • 会員さんからの近況報告 
  • 龍馬のバトン12「世ヲ経ミ民ヲ済ウ」(五月女明子) 
  • 長岡をゆく5(上田敏雄) 
  • 過激!長州、幕末史蹟巡り報告記(楢崎省三) 
  • 大坂の史跡を訪ねて13「土佐堀川・堂島川周辺その3」(長谷吉治) 
  • 伝言板(林慎吾)
2月24日
創立15周年記念・第12回総会 場所:梅南・橘集会所講堂  49名
  講演:小椋克己氏「龍馬の手紙を学んでみましょう」+記念パーティー
 総会は上田敏雄氏を議長に選出し、2001年度活動報告と決算報告を林事務局長より報告し、会計監査報告を川口貞男幹事からして頂き、質疑応答の後、了承。続いて2002年度活動方針案と予算案を林事務局長から提案があり、質疑応答の後、了承されました。

 その後、小休憩をはさんで、坂本龍馬記念館館長の小椋克己氏の講演会と続きました。紹介された手紙は下記の通りです。

○文久三年3月20日 乙女宛 ○文久三年8月19日 川原塚茂太郎 ○文久三年秋頃  乙女春猪宛 ○元治元年6月28日 乙女宛 ○慶応元年9月9日 乙女おやべあて ○慶応元年1月20日 春猪あて ○慶応三年11月13日  陸奥宗光あて ○慶応三年3月6日 印藤聿宛 第4段と第10段  

 興味深い話もされました。春猪=おやべであることを手紙の内容を読み解きながら解説したり、養子の件について龍馬自身が養子に関して非常に悩み、親類に相談している内容。蝦夷地開拓について龍馬が構想を持っていた事などを手紙で解説。形式張らないざっくばらんなパーティーを行いました。パーティー料理はたい坊の北村泰介氏にお願いしました。

 3月21日
第31回史跡探訪 大阪の史跡を訪ねてvol3 講師:長谷吉治氏  29名
○「住まいのミュージアム」○長堀川跡○四ツ橋跡○宇和島橋跡○砂場跡○本邦麺類店発祥の地○間長涯天文観測の地○大阪材木市売市場跡○司馬遼太郎旧住居(竜馬がゆく執筆の地)○木村兼葭堂邸跡○平和を祈る記念碑○土佐藩蔵屋敷跡(土佐稲荷神社)○堺事件、土佐藩十一烈士ゆかりの地○播州赤穂藩「赤穂勤王党」による文久事件○池内大学暗殺○岩崎家舊邸跡○西長堀と鰹座跡○西区役所前の道標○鰹座発祥の地○鰹節問屋山田屋跡○薩摩藩蔵屋敷(下屋敷)跡○島津公園○薩摩堀川跡○薩摩堀公園○英公使オールコック宿泊地(廣教寺跡)○大阪商業講習所跡(大阪市立大学発祥の地)○テレビドラマ「どてらい男」ゆかりの地:山善○永代浜跡○永代橋・門樋橋跡○関西法律学校(関西大学)発祥の地○中天游邸跡○津和野藩蔵屋敷跡○明治天皇ゆかりの此花乃井○宮武外骨ゆかりの地○明治天皇聖躅・大阪上等裁判所跡○薩摩藩蔵屋敷(上屋敷)跡○大村益次郎寓居跡○長州藩蔵屋敷跡○宇和島藩蔵屋敷跡○西堀川跡○松瀬青々生誕地○手形交換所発祥の地○淀屋の屋敷跡○林市蔵像○加賀藩蔵屋敷跡○島原藩蔵屋敷跡○五代友厚別邸跡○駅逓司大阪郵便役所跡○水戸藩蔵屋敷跡○明治天皇聖躅・大阪裁判所跡・赤穂藩蔵屋敷跡 以上51カ所
4月14日
会報「龍馬速報84号」発行 28頁
  • 堺事件と堺港周辺歴史探訪 
  • アンケート結果「龍馬の手紙の中で一番好きな言葉は何ですか? 
  • 今まで読んだ一番好きな歴史小説は何ですか?」 
  • 15周年記念総会 
  • 龍馬のバトン13「憎むべきは罪」(五月女明子) 長岡をゆく6(上田敏雄) 
  • 大坂の史跡を訪ねて14「土佐堀川・堂島川周辺その4」
  • 大坂史蹟探訪を終えて(長谷吉治) 
  • 別冊歴史読本「幕末維新英傑キャラクターファイル」
  • 丹中山の開発
  • 伝言板(林慎吾)
 5月12日
第32回史跡探訪 堺事件・堺港周辺史蹟探訪  講師:小川満也氏  28名
○天誅組上陸の地○堺事件発生の地(明治初年仏人撃攘之処)○旧堺燈台○安政大地震・津波の碑○南台場跡蘇鉄山○幕末砲台跡の石塁○千利休屋敷跡○明治天皇行在所碑(河盛仁平邸跡)○大小路○晴明辻○堺奉行所跡・旧堺市役所跡○妙国寺○宝珠院(土佐十一烈士墓)○西本願寺堺別院・堺県庁跡の石碑○山口家住宅○鉄砲鍛冶榎並勘左衛門・芝辻理右衛門屋敷跡の碑○鉄砲鍛冶屋敷井上関右衛門家○鉄砲鍛冶射的場跡○放鳥銃定限記の碑
 7月20日
会報「龍馬速報85号」発行 36頁
  • 京都国立博物館見学会 
  • 会津ツアーの案内 
  • 堺港周辺歴史探訪に参加して(大槻和寿) 
  • 初夏の京都御所周辺を訪ねて
  • 西宮砲台と和田山砲台
  • 神戸海軍操練所の碑を訪ねて(三輪ひとみ) 
  • アンケート結果「一番好きな歴史小説の一節は何ですか?」 
  • 長岡をゆく7
  • 幕末人物紹介3「河田佐久馬と山国隊」(上田敏雄) 
  • 龍馬のバトン14「参議たちの真意」(五月女明子) 
  • それぞれの季節を信じて(桧垣義広) 
  • 大坂の史跡を訪ねて15「御堂筋周辺その1」(長谷吉治)
  • 丹中山のその後
  • 伝言板(林慎吾)
 8月 4日
第11回龍馬大学校 講師:林慎吾氏「京都における会津藩」 場所:大阪中央青年センター  30名
 毎年真夏に開催される龍馬大学校。今回は会津藩と松平容保をテーマに林事務局長の講師で大阪市立中央青年センターで開催されました。 

 3時間内で、松平容保の生い立ちから、斗南藩まで語るにはあまりにも時間がなさ過ぎ、というか前半の徳川慶喜と松平容保の関係から京都の政治権力の移り変わりを詳しくお話ししすぎたもんで、会津戦争を詳しく語ることが出来ませんでした。

18日
第6回見学会 京都国立博物館「特別陳列・坂本龍馬」見学会  27名
展示物は○坂本龍馬桂小五郎遺墨(乙女宛龍馬書簡、権平宛龍馬書簡、龍馬宛千鶴書簡、龍馬宛桂小五郎書簡、龍馬詠草、坂本八平訓戒書)○坂本家先祖書並系図(坂本家先祖書指出控、坂本家家系図、坂本龍馬遭難通知状写、伏見寺田屋に於ける遭難の模様を郷里に通告せし手紙の写し、板垣退助碑文、奏状写し)○雄魂姓名録並海援隊日史秘記(雄魂姓名録、海援隊商事秘記、海援隊日史)○板倉槐堂筆「梅椿図」(血染めの掛け軸)○近江屋旧蔵「書画貼交屏風」(血染めの屏風)○小栗流和兵法目録○三徳○刀銘吉行○龍馬書簡(おりょう宛)寺田屋登勢書簡(おりょう宛)○伏見鳥羽戦争図○近江屋初荷之図○海獣葡萄鏡など約40点を見学しました。
10月20日
第33回史跡探訪 京都岩倉史蹟探訪  講師:上田敏雄氏  35名
 当日はあいにくの雨でしたが、まあよくここまで調べたもんだと感心する内容でした。どの本にも載っていないような史蹟を紹介され、さすが上田さんと感謝します。

 ○岩倉具視幽棲旧宅・対岳文庫○岩倉具視公旧跡久兵衛宅址○三縁寺(池田屋事件で死亡した宮部鼎蔵らの墓のお詣り)○大久保利通旧邸○清浄華院の姉小路公知・玉松操墓○梨木神社○新島襄旧宅○横井小楠殉難の地

11月2−4日
第34回史跡探訪 会津ツアー  案内:林慎吾氏 14名
11月2日(土)○法界寺(中野竹子墓)○道標(砲弾跡)○五十嵐住宅○叶津番所跡○河井継之助記念館○終焉の地○医王寺(河井継之助埋骨地) 

11月3日(日)○飯盛山(白虎隊士墓・白虎隊自刃地・戸ノ口原洞穴・さざえ堂・白虎隊記念館・白虎隊伝承史学館)○旧滝沢本陣○妙国寺(松平容保謹慎地・殉節白虎隊士之霊碑)○融通寺(西軍連絡場・西軍墓地・町野主水墓)○車窓より清水家跡(吉田松陰・土方歳三・宇田成一来訪地)○阿弥陀寺(1281体戦死者墓・萱野権兵衛遙拝所・斎藤一墓)・御三階○長命寺(東軍戦死者戦死墓)○松平家廟所○天寧寺(近藤勇・土方歳三墓・萱野権兵衛・郡長正墓地)○天寧寺土塁○会津武家屋敷(佐々木只三郎墓)○建福寺(河井継之助埋骨塔)○善龍寺(二十一人墓・家老西郷頼母墓・なよたけの碑)○本光寺(長岡藩士殉節碑) 

11月4日(月)○甲賀町口門跡○土屋一庵邸跡(田中土佐・神保内蔵助自刃の地)○開場式場跡○西郷邸跡○白露庭跡○萱野権兵衛・郡長正屋敷跡○大山捨松生誕の地○柴四朗・五郎生誕地○山鹿素行誕生地○日新館天文台跡○田中玄宰寓居跡○佐川官兵衛顕彰碑○鶴ヶ城(茶屋麟閣)○住吉神社(会津藩戦勝地の跡)○如来堂(新撰組激戦地)○涙橋○中野竹子殉節碑・中野竹子銅像○藩校日新館○戸ノ口原古戦場・大野ヶ原供養塔○十六橋○母成古戦場(母成峠古戦場・東軍殉難者慰霊碑埋骨地)

10日
会報「龍馬速報86号」発行 32頁
  • 初秋の五條
  • 御所と二条城(三輪ひとみ) 
  • 京都岩倉史蹟探訪のこと
  • 長岡をゆく8(上田敏雄) 
  • 幕末の小銃1(河田晃彦)
  • 京都国立博物館見学会報告 
  • 龍馬のバトン15「逆転のシナリオ」(五月女明子) 
  • 会津ツアー報告 
  • 若い瞳は燃えている(桧垣義広) 
  • 大坂の史跡を訪ねて16「御堂筋周辺その2」(長谷吉治) 
  • 龍馬大学校について
  • 丹中山のその後2
  • 伝言板(林慎吾)
17日
第13回墓前祭 講師:河田晃彦氏(伏見界隈)林慎吾氏(墓前)  53名
○龍馬墓前○霊山墓巡りツアー○円山公園(坂本龍馬・中岡慎太郎像)○寺田屋○お登勢の墓○大黒寺(薩摩藩伏見騒動殉難者墓)○伏見薩摩藩邸跡○材木小屋跡
2002年を振り返って
小川満也

 15周年記念の龍馬暦も無事完成し、大阪龍馬会創立15周年記念総会パーティーと大阪龍馬会での最後の講演になってしまった坂本龍馬記念館小椋克己館長の講演で始まった2002年は、私のイベント講師デビューの年である。この原稿を書くにあたり我が家にある「龍馬速報」を引っ張り出して目を通してみると、1997年4月発行の第65号に新入会員の紹介の欄に私の名前があり、足掛け5年目の講師デビューの年である。事務局長から「堺のイベントやって見ない?」との打診があり、不安ながら講師をさせてもらうことになった。堺は私の地元であり、家から歩いて廻れる距離のイベントであったので引き受けてみたものの、近いからこそいくどもいくども不安と戦いながらコースを徒歩や自転車で走り廻った事が忘れられない思い出である。特に河盛仁平邸跡の石碑が何度もその場所に行っても見当たらなくて、そうこうしているうちに長谷講師による大阪史跡探訪のイベントに参加し、いつもながらの超マニアックな内容に焦りばかりが募り、その後車でも何度もその付近を走るけど見つけられず、今日見つけられなかったらイベントではカットだな〜と思いながら自転車で出かけてみるが結局見当たらず、もうダメ!と思いながらコンビニで水分補給して出てくると、目の前の車道だけでも6車線ある大道筋の中央にチンチン電車が走る植栽の中に折れた跡のある石碑が寂びそうに建つのを見つけたときは、そうか!石碑はこんなところにもあるのだなと変に感動し、石碑を見つける楽しさをつくづくと感じ、ますます抜けられない世界に嵌り込んで行く結果になってしまったのです。

 その後、林事務局長による龍馬大学校で会津への気持ちがつのり、上田講師の岩倉史跡探訪、そして、2泊3日の会津ツアー参加、一体全体この年に私はどの位写真現像代を支払ったのだろう、怖くて考えないようにしている。

 そして、これがきっかけで翌年の怒涛の京都史跡ローラー作戦へと発展していくのである。

 1997年の大阪龍馬会10周年の年に入会し、2002年の15周年に講師デビューし、そして、来年には大阪龍馬会が20周年を迎えると供に私の大阪龍馬会入会10年を迎えます。また、みんなで楽しめる事が出来る大阪龍馬会であればと思います。

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