2002年 イベント報告
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2月24日、大阪市西成区の梅南・橘集会所講堂にて、大阪龍馬会創立15周年記念総会と講演会を開催しました。47名の方にご参加いただきました。新入会員さんの参加も多く盛会でした。
まず、総会は上田敏雄氏を議長に選出し、2001年度活動報告と決算報告を林事務局長より報告し、会計監査報告を川口貞男幹事からして頂き、質疑応答の後、了承。
続いて2002年度活動方針案と予算案を林事務局長から提案があり、質疑応答の後、了承されました。その後、小休憩をはさんで、皆様お待ちかね坂本龍馬記念館館長の小椋克己氏の講演会と続きました。
講演会は小椋館長の丁寧でしぶい声のお話しは、非常にわかりやすく楽しんでいただけたのではないでしょうか。それにしても3時間の小椋館長の名調子は贅沢でしたね。あれだけの書簡を読んでいただけるとは。
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小椋館長の美声にうっとりしました。
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講演で紹介された手紙は下記の通りです。
- 文久三年3月20日 乙女宛 さてもさても・・・
- 文久三年8月19日 川原塚茂太郎 近年福井で印刷物が発見された手紙。 養子に関する内容
- 文久三年秋頃 乙女春猪宛 (前略)先日大和国にてすこしゆくさのようなる事これあり・・・
- 元治元年6月28日 乙女宛 かの小野小町が・・
- 慶応元年9月9日 乙女おやべあて 私とともに致し候て・・・・
- 慶応元年1月20日 春猪あて 春猪どの春猪どの・・・
- 慶応三年11月13日 陸奥宗光あて さしあげんと申た脇指しは・・・
- 慶応三年3月6日 印藤聿宛 第4段と第10段 小弟は蝦夷に・・・
興味深い話もされました。春猪=おやべであることを手紙の内容を読み解きながら解説したり、養子の件について龍馬自身が養子に関して非常に悩み、親類に相談している内容。蝦夷地開拓について龍馬が構想を持っていた事などを手紙で解説。
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真剣に耳を傾ける参加者
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記念パーティーも形式張らずに、ざっくばらんな飲み会となりました。非常に有意義な1日となりました。小椋館長、本当にお忙しい中お越し下さりありがとうございました。
総会終了後に感想が届きました。
- 総会で懐かしい方々とお会いできて本当にうれしくありがとうございました。 幹事の方々のご苦労には感謝の気持ちで一杯です。
- テレビやラジオでしか知ることのない小椋館長さんに実際にお目にかかれて生声を拝聴させて頂き、オォーと感激致しました。凄いこだわりぶりにも驚き・・・龍馬速報の中の皆様のこだわり方も同じで、つながりのようなものを感じました。皆さんがそれぞれ土州 人であり薩州人であり長州人であり、志士みたいに見えるな・・・と思いました。
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藤本栄治会長の発声で乾杯!!
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3月21日 春分の日。3回目の講師を務めるイベントを迎えました。
当初の天気予報は雨。大阪史跡探訪の過去2回の内容は、ただ「ひたすら大阪市内を歩く」というイベントで、今回も、そんな内用だっただけに「雨はきついなぁ」と思いながら準備を進めました。テキスト作成が思いのほか進まず、完成したのが3月19日でした。
下見は20日から21日かけての深夜。道順の確認が主だったのですが、効率のいいまわり方が発見できたりして、急遽、予定のコースを変更して当日を迎えました。
集合場所に集まってきた参加者の皆さんを見て、まずご年配の方が多いということにびっくりしました。しかし、天気が崩れずその日は雨が降りませんでした。本当に龍馬会の日頃の行いが良いからなのでしょうか。
いちばん最初の「住まいのミュージアム」では大阪の町並みを体感できる博物館で、参加の皆さんには、どうやら好評のようで安心しました。ここは、昨年4月にオープンしたばかりです。まだの方は、是非一度は行っていただきたいお薦めの場所です。
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講師の長谷吉治氏
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1時間ばかりの見学後、地下鉄で四つ橋まで移動。2時過ぎより、四つ橋から西区中心に、史蹟巡りがスタートしました。講師の特権か、私の勤務先のそばを通ったのでPRも入れさせていただきました。西長堀まで歩き、司馬遼太郎さんが以前住んでおられたマンモスアパートを紹介させていただきました。司馬さんは、この地で「竜馬がゆく」を書かれたそうです。この小説がきっかけで多数の方が大阪龍馬会に入会されたと思いますので、司馬さんがもしこの小説を書かれなかったら、ひょっとして「大阪龍馬会」やこういうイベントもなかったかもしれませんね。
このあと、マンモスアパートから目と鼻の先にあり、桜の名所である「土佐稲荷神社」で記念写真を撮りました。
公園で少し休憩を取ってから、一気に土佐堀通りまでたくさんの距離を歩きました。
そして5時ぐらいになり、皆さんの表情にも疲労の色が見えましたので、肥後橋で強制終了せざるを得ないかと思ったのですが、意外にも多くの方がもう少し続けて欲しいということで、淀屋橋まで行くことになりました。本当に嬉しかったです。
大阪市役所前で5時半になり、次回イベントを担当する小川さんから、見所などを話してもらい終了しました。本当に皆さん、たくさんの距離を歩いていただきありがとうございました。
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史跡の紹介に熱がこもる
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僕にとって二度目の大阪での歴史探訪。それも初めての堺ということで、
期待に胸を膨らまして大阪駅に降り立ったまではよかったのですが、そこから後がよくなかった。田舎者のくせに、下調べもろくにせずに行ったものだら、JR堺市駅まで行けばなんとかなるだろうと思っていたのが間違いでした。駅周辺の案内地図で見つけた南海の駅名は、「堺東駅」。集合場所は「堺駅」。かなりあせりました。とりあえず堺東駅までいって、途中乗り換えしながら堺駅に。なんとか時間に間に合い、第一声が「遠かった!」でした。
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海を見ながら史跡の紹介
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さて、いよいよスタートです。まずは天誅組の上陸の地、堺事件の発生の地から始まりました。堺事件についてはあまりよく知らない僕でしたので、町人の注進で、土佐兵が駆けつけたのではなく、待ち伏せしていたのではないかという話など、興味深いものでした。また、天誅組の話も機会があれば詳しくききたいなと思いました。そして旧堺燈台で、集合写真をとって大浜公園へ。ここには南台場跡などがあり、講師小川さんの解説を聞きながら、当時を偲びました。また、ここには猿山があり、皆さん一刻、童心にかえって? 猿に夢中になってました。なんか、のほほんとしていいかんじでした。
これから先はまさに引き回しでした。もう、どこをどう歩いているのやら僕にはさっぱりでした。でも、歩きながらよくこんなに調べられたなぁと、感心しました。小川さん、すごい!歩きに歩いて妙国寺。ここで土佐の十一士が切腹したのかと思うと感慨深いものがありました。明治維新を大政奉還による無血革命だといわれることもあるようですが、決してそうではないと改めて思いました。
つたないレポートでしたが、楽しい一日でした。講師の小川さん、お疲れさまでした。次回、期待してます。
この後は、たい坊でおいしい料理とビールで舌鼓。疲れた体にビールがしみわたり、心地よい気分に。本当に楽しい一日でした。
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参加者に疲れの色が・・・
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毎年真夏に開催される龍馬大学校。今回は会津藩と松平容保をテーマに林事務局長の講師で大阪市立中央青年センターで開催されました。
3時間内で、松平容保の生い立ちから、斗南藩まで語るにはあまりにも時間がなさ過ぎ、というか前半の徳川慶喜と松平容保の関係から京都の政治権力の移り変わりを詳しくお話ししすぎたもんで、会津戦争を詳しく語ることが出来ませんでした。次に機会があるときは絶対リベンジしてやると思っております。
今回のお話の元テキストは星亮一氏の「幕末の会津藩」と「奥羽越列藩同盟」の2冊を参考にしました。是非ご一読下さい。
当日は沢山の方がご参加下さいました。当日のアンケートを紹介します。
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熱弁をふるう林慎吾事務局長
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1. 本日のお話はいかがでしたか?
- 事柄、人間関係のつながりの深さがよく分かり、細部にわたり詳しく、人物のエピソードと感心するばかりです。
- 人脈や時代の流れなどもよくわかり、興味深く聞きました。
- とてもわかりやすくよく勉強されているので感心しました。
- 大変詳しいので別の機会にゆっくり聞きたく思います。
- 沢山の資料の中から冊子を作って頂いていつもご苦労様です。まだ会津のことはよく分からないのですが、家には西郷頼母の本もあります。いずれ読みます。
- 話が上手でわかりやすかった。本当に歴史が好きなんだなーと伝わってきました。
- ありがとうございました。基礎知識が不足しているので後半ついていくのが精一杯でした。が、そこで負けてしまうと、まただめなので、今後も参加させていただきます。
- 慎吾君の熱弁に参りました。
- もっとくわしく話を聞きたかった。
- とても有意義で楽しいお話でした。
- わかりやすい話でした。もう少し時間がほしいですね。
- 細かく丁寧にわかりやすく話していただきました。私自身全くはじめてなので、ちょっとわからない部分が多く、他の人との差を感じました。
- 微に入り細に入り、特に前半が詳しく、初めての内容もあり、おもしろかった。
- 3時間の長時間を退屈させず、楽しく聞かせていただいた。かなり優れた講義技術をお持ちになっているようで満足できた。また講師役割を担当していただきたい。
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2.会津藩についてどのように思われましたか?
- 山中の藩の環境、受け継いだ教え、戦略的・人脈的にも、人間性が出ている。真面目、頑なな性格が悲惨。
- 会津については何も知らないので、歴史の流れがわかっておもしろかった。資料もわかりやすく、丁寧に書いてあるので良い。
- 藩の成り立ちから徳川家にひたすら寄り添って、誠実に行動してきた会津藩の武士達、大きな歴史の流れの中で、はからずも朝敵の汚名をきせられてしまった無念さを心より考えました。
- 会津藩について勉強します。 ○時間が足りなくて残念でした。
- 大変悲しい歴史ですが、まだ知らないことがたくさんあるので勉強したいと思います。
- あまり詳しくないので、今度本を読んでみます。
- 今回のツアーは行けませんが、個人的に会津へ行きたいと思います。
- 会津士魂を読んだところでしたので、興味深く聞くことができました。
- 改めて会津藩についても知りたいと思いました。
- 会津藩がつくづくかわいそうだと思いました。また詳しくやって頂きたいです。
- 歴史には「もしも」が多く出てきますが(後の評価で)会津は「もしも」が悲劇的に作用したのでしょうね。
- あえて会津がどうという事すら考えていなかったが、話を聞き一度見学に行きたくなりました。いろいろな有力者がいたのに、自分の目で足で戦争を知らない戦争をしたことで、哀れな悲しい藩だと感じました。
- 幕末の京都については、いささか知識はありましたが、会津藩そのものはよく知らなかったので、なかなか考えさせられるところがありました。
- この時を龍馬に視点が据えられ、幕末から明治維新が成し遂げられた背景、その人間ドラマに対する認識不足に我ながら唖然とし、目からウロコ。会津藩を知ることによって今、少し龍馬に近づけた思いです。会津藩は一つの組織、チームですが、幕末明治維新に貢献した個人、その人物研究に視点をあて林講師の造詣の深いレクチャーを期待したい。
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真夏のイベント第二弾! それにしても今年の夏は猛暑じゃなくて酷暑でしたね。この8月18日は。薩摩藩と会津藩が協力して長州藩を京都から追放したクーデター。文久3年の8.18の政変の日。まぁ日が一緒ということもあり、意気揚々と蒸し風呂の京都に向かいました。
展示内容は
- 坂本龍馬桂小五郎遺墨(乙女宛龍馬書簡、権平宛龍馬書簡、龍馬宛千鶴書簡、龍馬宛桂小五郎書簡、龍馬詠草、坂本八平訓戒書)
- 坂本家先祖書並系図(坂本家先祖書指出控、坂本家家系図、坂本龍馬遭難通知状写、伏見寺田屋に於ける遭難の模様を郷里に通告せし手紙の写し、板垣退助碑文、奏状写し)
- 雄魂姓名録並海援隊日史秘記(雄魂姓名録、海援隊商事秘記、海援隊日史)
- 板倉槐堂筆「梅椿図」(血染めの掛け軸)
- 近江屋旧蔵「書画貼交屏風」(血染めの屏風)
- 小栗流和兵法目録
- 三徳
- 刀銘吉行
- 龍馬書簡(おりょう宛)寺田屋登勢書簡(おりょう宛)
- 伏見鳥羽戦争図○近江屋初荷之図○海獣葡萄鏡など約40点。
見学会終了後、近くのお茶屋さんで、のどを潤しました。お抹茶、宇治金時、抹茶アイスなど抹茶づくしを味わい、希望者で高瀬川の史蹟探訪! これがまた暑かった。あとはお決まりの二次会へと続きました。
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岩倉のイベント担当に決まってから、なかなか下見に行く時間がなくて、やっと行くことが出来たのが8月中頃のこと。まず岩倉具視幽棲旧宅へ行き、そして花園町の九兵衛宅、三縁寺と行ったが2時間位で帰路についた。しかしこれでは最近の盛りだくさんなイベントに比べ、内容が少なすぎるし、2次会までの間が持たない。帰りに一乗寺で降りて村山たかゆかりの金福寺と円光寺を入れようかとも思ったが、岩倉でけっこう歩くのに一乗寺でまた歩くのは少し抵抗があった。そこで岩倉付近で探すのはやめて、一気に市内に戻ることにした。もちろん岩倉具視のイベントなので、そのからみで、石薬師御門前の大久保利通旧邸址と、以前からイベントに入れたかった清浄華院の玉松操と姉小路公知の墓を予定に入れた。これで岩倉具視のイベントとして筋が通った。さて次はテキストであった。手元に岩倉具視の本がないので、守口の図書館へ行くと1冊しかなくそれを借りる。事務局長に電話をしたが岩倉の本は持っていないとのこと。ネットで岩倉具視を検索すると1件ヒットするだけで、それも岩倉使節団のこと。つくづく人気のない人だと思った。ともかく頼りの1冊でテキストを作り始める。図書館の期限の2週間はあっという間に過ぎ、返却し、中公新書だから買ってあとを続ければ良いと思ったが本屋に行っても売っていない。すでに絶版になっていた。本屋でほかの岩倉の本を探したがまったくない。本当に人気がない。以前はお札にまでなっていた人なのに、一体あれはなんだったんだろうと思った。ともかくまた図書館で借りて書き続ける。大久保利謙さんの本はよくまとまっていていい本だった。私としては何故岩倉具視が幽棲しなければならなかったのか、そして彼の考え方の推移等に焦点を絞り、魅力的な岩倉を紹介したかった。それはやはり維新までの岩倉である。7ペ−ジにまとめた岩倉具視、うまく紹介出来たかわからないが、少しでも岩倉を知ることが出来たと思って下されば幸いである。 |
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講師:上田敏雄副会長
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2度目に下見に行ったときに、幽棲旧宅の受付の方としばらく話をしました。自己紹介をすると、龍馬会と言えば以前東京龍馬会の方が100人くらいで来られましたよ、とおっしゃった。あれは十年前の大阪と東京龍馬会の合同イベントのとき。古い会員さんはもちろん覚えておれらるはずですよね。あのすごい宴会をしたイベントから十年たってしまったんです。懐かしいやら恥ずかしいやら。
それから、イベントの時にはバスの道を通らず川沿いの道を通りましたが。受付の方に昔はやはり川沿いの道を通って京に行ったんでしょうねと尋ねたら、いや昔は今のバス道と川との間に道があって、そこを通って京にいったのですが、今はとぎれとぎれになってしまったとのことでした。
三縁寺で雨が降り始め、清浄華院ではかなり降っていて集合写真も撮れず残念でした。そういえば最近の会津のイベントも雨にたたられましたが、これは私がいたからなどとは思わないで下さい。私はけっして雨男ではございません。間違えないようにお願い致します。
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岩倉公隠棲地にて
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2002年11月4日、念願の会津へ。伊丹空港から新潟空港まで1時間のフライト。新潟空港で総勢14名の珍道中が始まりました。
今回はコースのみを紹介します。
11月2日(土)
新潟空港−磐越自動車道(阿賀野川SA昼食)−会津坂下IC−法界寺(中野竹子墓)−道標(砲弾跡)−只見町・五十嵐住宅・叶津番所跡・河井継之助記念館・終焉の地−医王寺(河井継之助埋骨地)−会津若松のα−1ホテルへ
当然のことながら2日間とも夜の懇親会あり
11月3日(日)
飯盛山(白虎隊士墓・白虎隊自刃地・戸ノ口原洞穴・さざえ堂・白虎隊記念館・白虎隊伝承史学館)−旧滝沢本陣−妙国寺(松平容保謹慎地・殉節白虎隊士之霊碑)−融通寺(西軍連絡場・西軍墓地・町野主水墓)−車窓より清水家跡(吉田松陰・土方歳三・宇田成一来訪地)−阿弥陀寺(1281体戦死者墓・萱野権兵衛遙拝所・斎藤一墓)・御三階−長命寺(東軍戦死者戦死墓)−松平家廟所−天寧寺(近藤勇・土方歳三墓・萱野権兵衛・郡長正墓地)−会津武家屋敷−建福寺(河井継之助埋骨塔)−善龍寺(二十一人墓・家老西郷頼母墓・なよたけの碑)−本光寺(長岡藩士殉節碑)−ホテル
11月4日(月)
甲賀町口門跡−土屋一庵邸跡(田中土佐・神保内蔵助自刃の地)−開場式場跡−
西郷邸跡−白露庭跡−萱野権兵衛・郡長正屋敷跡−大山捨松生誕の地―柴四朗・五郎生誕地―山鹿素行誕生地−日新館天文台跡−田中玄宰寓居跡−佐川官兵衛顕彰碑−鶴ヶ城(茶屋麟閣)−住吉神社(会津藩戦勝地の跡)−如来堂(新撰組激戦地)−涙橋−中野竹子殉節碑・中野竹子銅像−藩校日新館−戸ノ口原古戦場・大野ヶ原供養塔−十六橋−母成古戦場(母成峠古戦場・東軍殉難者慰霊碑埋骨地)−新潟空港
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上田副会長と龍馬会のマドンナ・野村女史
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3日間お世話になりました。運転手さんもお疲れ様でした。しかし、会津は遠くて寒かった・・・。「念のため」と思っていた防寒グッズが役に立ちました。紅葉と雪を同時に見た貴重な体験でしたね。相変わらずハードでしたが楽しかったです。(人気のないところにワゴン2台で乗り付けてひたすら写真を撮り続け、お土産品より本に群がって嬉々としているナゾの集団だったけど)
1日目の只見は個人では一生行くことはなかったと思います。あの番所にはぜひ泊まりたいです。2日目の飯盛山も小学生の頃、白虎隊の悲劇を知って以来(もちろん背後関係など分かっていませんでしたが)、「飯盛山から城が見たい!」と思っていただけに何とも言えない気持ちでした。特に小雨が降っていて肌寒かっただけに、150年前の彼らは本当に苦しかっただろうなとしみじみ思いました。
実際に行ってみて感じたのは、会津藩の人たちは自分たちの地形に少し甘えていたのではないかということです。まさか周囲の山々を西軍が素早く越えてくるとは想像していなかったでしょう。やはり太平の世を将軍に尽くすことだけを考えていた藩と、いつかは江戸幕府を倒してやろうと考えていた藩との差ですかね。会津藩は教育がいきとどいていたけど、攻撃に対して弱かったということでしょうか。
このたびは「会津の歴史と戊辰戦争」についてのツアー、大変有り難うございました。なかなか行けない奥地、広範囲での史跡巡りを二日半位の予定で腰軽く廻って頂き、恐らく5・6年の勉強時間をコンパクトにて解決したなーと云った感じであります。自習する元気を与えていただいた次第であります。本当に有り難うございました。今後ともよろしくお願い申します。
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こんな人数の多い墓前祭は生まれて初めての経験でした。11月17日、快晴。参加者53名。どうやってこの人数、移動するのか? 色々な不安が脳裏によぎりながらのスタートでした。
早めの集合にもかかわらず、幹事以外の会員さんは集合時間までに集合完了。いざ霊山へ。本日の講師・河田晃彦氏。
霊山到着後、龍馬・慎太郎・藤吉さんの墓参り。大人数で墓参りにも時間がかかる。
霊山での講師は、林慎吾事務局長。平野国臣の墓からスタートし、所郁太郎・横井小楠・池田屋事変・天誅組義挙・木戸孝允夫妻の墓など1時間近く時間をかけてご案内。それにしても有名人が沢山眠っている霊山は、幕末ファンにとって聖地に近いものがあります。その龍馬の墓を「見学」だけする人がいることに寂しさを感じるのは僕だけでしょうか? 墓は見学地ではない! 例えば自分の先祖の墓参りに行くと必ず手を合わせると思います。それと同じです。まあ、龍馬会の人は志が非常に高く、全員しっかりと手を合わせておられて、大変嬉しかったです。
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講師:林慎吾事務局長
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さて、霊山から伏見へ移動。途中円山公園の龍馬・慎太郎像の前で記念撮影。当然、霊山でも記念撮影を行いました。
京阪電車に揺られ、中書島に到着。ここからは本日のメイン講師・河田氏の登場です。初講師ということで、いささか緊張の面もちでしたが、さすがムードメーカー、すぐにしゃべり慣れしました。お登勢の墓、薩摩義士七烈士の墓、伏見薩摩藩邸跡、龍馬が寺田屋で襲われたときに隠れていた材木小屋跡、そして寺田屋へ。寺田屋では着物姿の京都龍馬会の赤尾会長にお会いしました。
当然二次会は設定されています。ということで二次会へ。ここでも講師・河田氏は手品を披露! 初参加の方は大喜びでした。なにはともあれ、無事終了。歩き疲れた体で一路自宅へ!
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霊山内の墓巡り
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- 墓前祭に参加させて頂き有り難うございました。多数の参加者でした。さすが大阪龍馬会の事務局メンバーの方々のご努力と過去の実績によるものと感銘致しました。霊山に祀ってある数々の志士について熱心なご説明に聞き惚れて知らぬ間に厭うことなく霊山頂に登り詰めておりました。頂上より見下ろして感じたことは、国がこれだけの墓地に力を入れたのは、維新の志士の奮戦が如何に偉大であったか、国の宝であることを国民に知らせた一大弔いであった現実の姿に深く感服致しました。
- 寺田屋の次にお登勢の墓も参らせて頂き、寺田屋には過ぎる女将がいたことも改めて知りました。
- 龍馬は33歳という若さで終わっていますが、一番大切な時に現れ、完璧な捨石の運命をやり遂げた人物であることを更に認識し、途中涙も出ました。
- 自分は既に知らぬ間に、龍馬の倍以上も年を取っていますが、横着ながら少しでも龍馬の心意気を見習い、晩節で何かを残したいと、つくづく思い入った次第であります。非常に良かった半日でありました。有り難うございました。
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円山公園の紅葉は綺麗ですね
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