林 美奈子
私が大阪龍馬会に入った91年からの6年間は、まさに「お芝居に明け暮れた6年間」ではなかったでしょうか。龍馬LIVE2「坂本龍馬についての一夜」の稽古場に何も知らずに踏み込んだ私は、あぁ、ここは龍馬会という名の劇団なんだわと思ったくらい、その稽古は熱のこもった本格的ものでした。劇団潮流藤本先生の演出の声も厳しく、役者である幹事のメンバーたちも真剣そのものでした。この作品には龍馬の死後、閻魔大王の前で裁かれるという、龍馬をとりまく人々が思い思いに龍馬について語るという内容で、お芝居は無縁だと思っていた私も、どんどんその世界に引き込まれていきました。92年1月のミノヤホールでのLIVE2は大盛況で、130人も動員でき大変盛り上がりましたね。(そうそう、テレビ取材まで受けました)
3月には同作品で、脱藩の道ツアーと同時進行で上演された愛媛県河辺村と高知県自由民権記念館での地方公演も行われました。イベントで山道は歩くわ、稽古はするわで、役者さんはゆっくり食事もとれない程のハードスケジュールだったけど、それでもみんな楽しそうに演じて・・忘れられない旅になりましたね。河辺村でのろうそくの明かりだけの舞台は幻想的でした。
そして10月、東京龍馬会合同イベントで「近江屋の一夜」を上演。たった半年の準備期間しかなかったのに、立ち回りも手作りの舞台装置も素晴らしい出来で、今は亡き西尾先生が手を叩いて喜んで下さいました。お芝居熱はこの年だけで冷めず、1994年龍馬LIVE4「海に架ける虹」・95年龍馬LIVE5「土佐の鰹を待っちょった女たち」の大舞台まで発展していきます。大阪龍馬会のメンバーが書き下ろし、演じた思い入れの深い作品たちです。皆のその創作にかける熱意はここには書き切れません。
この6年間のすごいところは、お芝居に明け暮れただけでなく、例年通りイベント・会報発行も行われたことです。92年の神戸イベント、大原山荘での合同イベント、93年の和歌山史跡探訪・新選組を斬る、大阪歴史ウォークラリー、94年東吉野に行くなら一気にDANDADAN・ファンキーのんきーツアーIN出石−桂はん待っててや−・横須賀史跡探訪&「海に架ける虹」地方公演、95年犬山ツアー・幾松見学−桂小五郎はダルマ好き−、96年京都御所巡り・東山界隈史跡探訪。(一部イベント名がおもしろいのは講師の特徴ですね)97年には姫路イベント・福井ツアー・そして10周年記念式典で「MESSAGE FOR YOU」というお芝居と「龍馬とゆかいな仲間たち」という10年間の歩みをおもしろおかしく綴ったビデオ上映がされました。会報では93年に龍馬速報50号記念特大号が発行され、63号は太田編集長の尽力で表紙がカラーになりました。
そうそう私事ですが、96年8月、林姓となります。大阪龍馬会に入って人生が変わった代表的な一人ですよね。事務局の住人になり、それまでの静かな生活が一変しました。でも変化のある、人と交流の絶えない家はなんとも大変な、いえ楽しいものです・・(汗)。
10周年を記念しての「幕末カレンダー」作りでは、この事務局がフル活動しました。読売新聞の「泉」欄でカレンダーが紹介されたその日から、電話回線が飛んでしまう程の問い合わせがあり、注文受けから梱包・発送の為、幹事のみんなには寝泊まりの応援してもらいました。あまり人の出入りが多いのと、毎晩、台車で筒状の荷物を運び出す作業をするので、近所の人に怪しまれ、カレンダーを持って説明しに回ったのが懐かしい思い出です。
ざっと6年間を振り返りましたが、大阪龍馬会の激動の日々と言えるでしょう。事務局に記録が置いてあったので、今回それらを見ながら久々に振り返る事ができました。年表・写真・ビデオどれも大切な記録ばかりです。これからもしっかり残していきたいですね。
あの頃一緒に活動していた皆さんへ・・・。とにかく楽しかったですねぇ。大阪龍馬会が今、円熟期だとしたら、このころは青春時代だったという感じでしょうか。仕事や通常の龍馬会の活動もしながら、芝居の稽古に集まり、よく飲んで語り合いました。今は連絡とれなくなってしまった人もいるけど、今の龍馬会も変わらず前進していますよ。確かに会員の高齢化が進み(苦笑)あの頃のような無茶はできませんが、信頼できる幹事達がいてくれて、安心して伸び伸び活動しているように思います。前に目指せ「シルバー龍馬会」と書きましたが、現実になりそうかもしれません。今はなかなか時間がとれなくても、歳を重ねて自由な時間ができましたら、いつでもまた参加してくださいね。あと30年くらいは事務局で頑張っていますからね!!ではでは。
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