2005年 イベント報告
総会レポート

本日の講師・土居先生のお話はいかがでしたか。感想などお書き下さい。

  • いつもながら土居先生のお話は楽しくて、あっという間に時間が経ちました。図説坂本龍馬のできあがるまでの裏話がいろいろわかって面白かったです。歴史の史実や事実読み解く人によって違う結果を生む場合もあるのではと考えさせられました。いろいろな説を勉強しながら、歴史を楽しみたいと思います。
  • 年齢を感じさせない力強い言葉と激しいエネルギーに圧倒されました。好々爺の面もおかしかった。
  • お体の具合が悪いと伺いましたが、お話が始まると中々お元気で前半は愚痴あり皮肉あり、後半はQ&Aについての真剣な説明で中々おもしろかったです。入院されてお元気になられますように。
  • やっぱり生の声は楽しかったです。新刊「図説坂本龍馬」の裏話も聞けて今から楽しみです。噂に聞いていたご病気とのことでしたが、お元気そうで何よりです。某女史の長電話は本当だったのですね。監修のため夜遅くまで頑張られたり、大阪龍馬会の質問にも全力で調査されたり人としてとても熱く何かを感じるものがありました。有り難うございました。
  • 大変面白くて感激しました。長い時間お疲れ様でした
  • 話し方が面白い。
  • NHKの裏話などへ〜と思いました。
  • 一昨年の同じ時期に土居先生のお話を聞きました。その時もパワフルにそして面白おかしくお話をされていましたが、今年もそうでした。いつもお元気でユーモアのあるお話を又聞かせてほしいと思います。今日のお話は神戸の操練所が出ていました。神戸イベントがありますので大変興味深く聞かせて頂きました。先生のお話を心に留めておきたいです。
  • 先生の講演は入会した年と本日で二回目です。大きな病を秘められた中での長時間の講演感銘しました。早期の本復を祈ります。
  • 龍馬談義という土居先生の皮肉や愚痴。それに終わらずに龍馬に関する話を教わり、大変参考になりました。また話を伺いたいです。
  • 「竜馬がゆく」等でおりょうさんのイメージが私なりに出来ており、同性から見て魅力的な女性ですが・・・。土居先生が龍馬さんの妻とは認めないと冷たく云われショックを受けました。どういう点が坂本家の人たちの反感を買ってきたのか。具体的に説明していただけたら・・・と思いました。土居先生のご健康とますますのご活躍をご祈念いたします。
  • 先生の熱のこもった講演有り難うございました。いろいろな話一つ一つが楽しかったです。一般の人の間では小説やテレビドラマの内容が史実と思いがちですが、歴史研究家としての立場からのお話をしていただいたので、面白かったです。
  • 非常に面白く聞かせていただきました。これが最後ではなく今後も何度もよろしくお願いします。
  • すごい研究家だなと思いました。これから土居先生の本を沢山読みたいと思います。土居先生にお答えしていただき、長年のもやもやしていたのがすっきりしました。お答えして頂いた時のうれしかったことうれしかったこと!大昔の学生時代にもどった様でした。又龍馬会に出席できる日を楽しみにしています。出席して4人とお知り合いになりました。いろいろな考え方を聞いて勉強になりました。

本日の講師:土居晴夫氏

聞き入る参加者

えっ、神戸もですか!?
3月27日、16年前のこの日私が社会人として旅立った記念すべき日に、神戸史跡探訪が開催された。(読者の皆さん、私の年齢はあまり深く考えないで下さい)

 JR大阪駅のコンビニでおにぎりなどの食料をしこたま買い込み、いざ電車に乗ってみたものの何か違う、何かおかしい・・・。停車駅をアナウンスする車掌の声だ、いや言葉だ!「神戸の次は明石まで止まりません。」ひぇーっ、間違えて新快速に乗ってしまったのだ。『いいや、神戸駅で乗り換えたら間に合うやろ。』そう思い、何事もなかったかのようにそのまま神戸駅まで乗っていた。神戸駅で普通電車に乗り換え、車内でおにぎりをパクつきながら車窓に流れる景色を眺めていたが、舞子駅が近づくと『海や〜!明石大橋や〜!!』と子供のように一人で興奮してしまった。

 スタート地点の舞子駅からまずは舞子砲台跡へ。ここは石碑と石垣のみが残っている。すぐ近くには淡路島があるので、ここからの見晴らしはすごく良かっただろうと思う。どこの(何藩の)船が通ったかすぐ分かっただろう。ここで早々と集合写真を撮る。

 次は、旅宿・左海屋跡へと歩く。ここは龍馬が宿泊した所だ。今はマンションが建っており石碑も残っていない。すぐ近くの萬亀楼跡も、左海屋と同じく旅館だがここは建物の一部が現存していて、テキストに載っている古写真を見ながらイメージしてみる。

 少し歩いて向かった所が明治天皇歌碑だ。歌碑の説明によると、明治天皇は舞子の景勝を愛されたとある。確かにここからの景色はとてもきれいだ。『源氏物語』でも光源氏は須磨での隠遁生活の時に見た景勝を自ら描き、後に人々から絶賛されるくだりがある。もしかしたら、明石大橋が素朴ながらきれいな景色を邪魔しているのかもしれない。そんな考えが頭の中をよぎる。

 舞子周辺はここで終わり、次はJR⇒地下鉄と乗り継ぎ和田岬へ移動する。三菱重工までは歩いてほんの5分ほどだ。ちょうど1年前に1人で来た時は車で送って頂いたが今回は歩いて見学する。そういえば、その時の説明で「団体様の場合は移動する車両が無いので歩いて頂いているのです。」と言っていた。ここまで歩くのは大変やろうなぁ、と思ったのだが1年後にまさかその大変さを知る事になろうとは・・・。入り口から20分ほど歩いた所が和田岬砲台だ。兵庫県下史跡第1号に指定されているこの砲台は、なるほど当時をそのまま今に伝えている。初めてこの砲台を見学した人は感嘆の声を漏らしていた。ここでも集合写真を撮る。

 三菱重工内は様々な史跡があった。徳川家茂・慶喜両将軍に関係する和田神社跡、明治になって殺された攘夷派志士・土岐一郎斬殺の地など広い敷地をあちこち歩き、正直早くも疲れが見えはじめた。やっと三菱重工を出た私達に講師のムカつく、いや爽やかなお言葉が。「ここからハーバーランドまでひたすら歩きま〜す!」えぇーっ、ここは神戸市兵庫区、ハーバーランドは神戸市中央区。区を越えるとは、さすが大阪史跡探訪の講師だ。神戸でもやってしまわれるのですね・・・。

本日の講師:長谷吉治氏

舞子砲台跡で記念撮影

 気をとりなおし向かった先は和田神社。現在はこの地に移転されたがその歴史は古く、平清盛の時代からだそうだ。

 兵庫浜本陣跡などを通り、やってきたのは琵琶塚そして清盛塚。まず琵琶塚だが、形が琵琶に似ているところからそう呼ばれたらしい。琵琶の名手・平経正の墓ではないかといわれている。平経正は一の谷の合戦で有名な平敦盛のお兄さんだ。 清盛塚は長い間清盛の遺骨を埋葬した墓だと伝えられてきたが、大正時代に供養塔である事が判明したそうだ。私もここが墓ではないと思った。清盛の墓ならゆかりのある地にあるのではないかと思う。清盛の死は戦死ではないのだから。

 川辺の散歩道みたいな所でしばし休憩する。後で知ったがそこはキャナルプロムナードというらしい。しばらく歩いていくと、橋の途中に平清盛の像があった。そんなに大きくなく真新しい。1週間ほど前にここに設置されたらしいが、その顔は今ドラマで清盛役をしている渡哲也さんに似ていた。私は毎週ドラマを見ているが渡さんはやっぱりかっこ良い。昔、織田信長をしていたがあの時もかっこ良かった。ここで事務局長夫人とご令息が抜けられた。やはり小さいお子さん連れだとこの道のりは相当キツイと思う。

 しばらく歩くとまたまた清盛ゆかりの地・能福寺だ。ここは清盛が剃髪した寺で、その後“相国入道さま”とか呼ばれたそうだが、なぜ清盛は仏門に入ったのだろう?それはさておき、この寺には清盛の廟所(お墓)があるが私はこのお墓が本物だと思う。この寺で剃髪したのだから当然遺髪も残っているだろうし納得がいく。また、このお寺にはとてつもなくすごい物がある。それは、兵庫大仏と呼ばれる大きな大仏様だ。奈良の大仏様と同じぐらいの大きさである。私はまたとない機会なので写真を撮った。このお寺には他に、ジョセフ・ヒコの英文碑・神戸事件の滝善三郎顕彰碑などがある。

 西国街道に入り兵庫宿本陣跡・札場の辻跡、清盛ゆかりの地・大輪田泊 経ケ島跡などを通り、着いた所は高田屋嘉兵衛顕彰碑。この人は幕末より少し前に生きた人だが、蝦夷地(今の北海道)との交易に尽力をつくした人だ。確か、司馬遼太郎の『菜の花の沖』の主人公ではなかっただろうか。

和田岬砲台で記念撮影

解説に熱がこもる。聞き入る参加者

 次も幕末や源平には全然関係ないが、ちょっとしたモニュメントがある。横溝正史生誕の地だ。私は別のテンションが上がってしまった。私が読書好きになったきっかけは横溝正史の『迷路荘の惨劇』を読んだからだ。その後ありとあらゆる金田一シリーズを読んだ。ちなみに私のお勧め作品は、前述の『迷路荘の惨劇』と『仮面舞踏会』である。

 そして、私達はやっとハーバーランドまでたどり着き近くのカフェで休憩する。熱いコーヒーと甘いお菓子が疲れを取り去ってくれた。ここにずっといたい気持ちだったが、無常にも集合時間がやってきた。私は疲れで重くなった体を立ち上がらせる。

 様々な人が行きかう雑踏の中を、歴史好きの変な集団(?)がゾロゾロ歩いて行く。異様な光景だろうなぁ・・・。周りを見渡せばカップルが結構いる。ちくしょう、やはり神戸はカップルで来るのが一番だね。

 次に向かった先は、神戸海軍操練所跡。錨のモニュメントが目を引くかっこ良い石碑である。私はいつも間違えてしまうのだが、神戸海軍操練所には龍馬はいなかった、神戸海軍塾に龍馬がいたのだがつい操練所の方に思いを馳せてしまう。そして、操練所顕彰碑に向かう。小さな公園の中に大きな顕彰碑が立っている。

 おしゃれな街並みを通り抜け神戸大丸の前にあるのが三宮神社、神戸事件の舞台となった所である。それから三宮方面へ歩き、駅近くのかなりの人で混雑している場所で説明を受けたのが神戸海軍塾跡・勝海舟邸跡だ。今はかなりの都会であるこの土地も、幕末の頃はまだまだ田舎だっただろうなぁ。塾や屋敷を建てるぐらいの敷地はすぐに確保できただろう、と勝手な憶測をたてた。

 そして、神戸史跡探訪は無事に終了した。本当はもう少し回る所があったらしいが、これ以上は私も含めみんなの気力が続かないし時間もかなり押していた。しかし、神戸をこんなに歩いたのは今回が初めてだ。いつもは三宮から元町、中華街からメリケンパーク・ハーバーランドへと歩く、それが普通だがたまにはこういうのもいいかも知れない。自分の知らなかった場所や土地を新たに知るのは気持ちがいい事だ。それが、史跡巡りの醍醐味でもある。大阪龍馬会の史跡巡りは本当に価値あるイベントである。

京都史跡探訪 〜古地図を持って京を歩く〜
 5月29日(日)今年第3回目となる大阪龍馬会のイベント『京都史跡探訪』が開催されました。心配されていた雨予報ははずれ、終日お天気に恵まれた1日となりました。集合場所の地下鉄東西線二条駅には早々と参加される皆さんが集いはじめ、あちらこちらに笑顔。今日はどんな場所を案内いただけるのだろう?どんなお話が聞けるのだろう?私は心地よい緊張感のある、イベント前のこの雰囲気がとても好きです。そんな皆さんの期待に応えてくださる本日の講師は北浦康男さん。トレードマークのニコニコ笑顔で挨拶され、初参加の方やまだ慣れない参加者の緊張を解いてくださいます。

 イベントスタート。まず向かったのは二条城の西側、現在中京中学校の『西町奉行所』跡でした。その碑は西側(千本通)にポツンとありましたが、当時の奉行所の敷地は学校前の押小路を含む一帯で、対となる『東町奉行所』はここより南東の斜交にあったそうです。

 今回のイベントは 〜古地図を持って京を歩く〜 と副題され、テキストには現在の地図の上に薄紙の古地図が重ねられた二重の地図があり、当時の道幅、屋敷などの大きさ、所在位置関係が解りやすいたいへん親切なものでした。目の前の押小路通は存在せず、南北の千本通は今より随分狭いものですが当時から主要道だったことなど、この後めぐった史跡でもこの地図とともに案内いただき、当時の様子をとてもよく感じることができました。

 奉行所跡でのお話は幕末の「天誅事件」についてでした。ここ両奉行所役人もその天誅に遭ったそうです。今日のコースは安政〜文久頃の捕縛や天誅などの事件がメインとなるようです。ここから『京都所司代屋敷』跡へ、二条城北側に位置し丸太町通まで至る広大な敷地だったそうです。安政の大獄では反幕派の大弾圧を行うことになりますが、当時の所司代は若狭小浜藩主の酒井忠義で、自藩の梅田雲浜をその大獄の逮捕者1号として捕縛。

暑い中、説明に耳を傾ける参加者

本日の講師:北浦康男氏

 今回は時間がなく行けませんでしたが、その梅田雲浜の寓居も近くにあり、烏丸通りに面してひっそりと碑があるそうです。各地を遊説して旅した雲浜は京での活動拠点となる住居も転々としたそうで、それを標す碑は他にもみられるそうです。桜田門外の変後、反幕尊攘派は報復活動に出はじめ、ここ所司代もその対象に。関白・所司代を斬り二条城を占拠しようとするもので、その計画は不発に終りますが、この京を守る所司代酒井忠義は自身がパニックになりその不備を咎められ所司代を罷免されたそうです。それ以降、反幕尊攘派は集団から個別活動へ移ることになり、文久2年秋頃からの脅迫事件や天誅事件などへ続くそうです。これらの事態の深刻さに幕府は所司代の上に新たな機関「京都守護職」を設けることとなり、守護職に会津藩主松平容保が就任することとなった経緯などをお話いただきました。その「京都守護職屋敷跡」は今回のコースにはありませでしたが、二条城から近い北東にあり現在の京都府庁にあたるそうです。容保が守護職に就任した当初はここから離れた黒谷の「金戒光明寺」で、その後手狭になり移ったそうです。

  つづいて所司代の勤番者およびその家族の居住区とされていた『京都所司代下屋敷』跡へ。ひまわり幼稚園の園内に「板倉勝重邸跡」の碑がありました。江戸初期時代に名所司代といわれた板倉勝重、重宗がこの辺りに住んでいたそうです。

 ここまで右に左に二条城を眺めながら、二条城の回りをほぼ一周歩いてきたことになります。次はその『二条城』での自由見学。いつも観光客で賑わう二条城、キュキュッと鳴きながら二の丸御殿を歩きます。右にては神妙に大政奉還中‥、なんだか修学旅行か遠足の気分。そんなのも楽しい。常時公開されていない「本丸御殿」はまだ見学したことがないので、次の一般公開には行きたいと思っています。事務局長の林さんはいつも「本丸はいいで〜」と、かなりのお薦めのようです。

 さて出発、次は『若狭小浜藩邸跡』でした。碑は「開陽堂」という刀剣・古美術を扱う店先にありました。この小浜藩邸も元和9年の築造当時は2万坪という広大な敷地であったそうです。さきにお話にあった京都所司代の酒井忠義は小浜藩主でしたが、所司代を罷免されたのち蟄居を命ぜられ、それよりここ小浜藩邸は空屋敷となったそうです。

この「空屋敷」を将軍後見職時の慶喜が文久3年10月より宿舎として用いることとなったのだそう。慶応2年12月「将軍宣下」を受けてからも、慶喜はここで過ごしたそうで、目の前の二条城へ移ったのは慶応3年9月内大臣に任ぜられてからなのだそうです。よほど居心地が良かったのでしょうか?

 続いては『二條陣屋/小川家住宅』(重要文化財)の見学。ここではガイドの方に案内いただきました。小川邸は江戸時代初期に建てられた町屋建築で、もとは米・両替商を営んでいたそうですが、当時京には陣屋はなく京屋敷を持たない大名の宿所として使用されるようになり京町屋と陣屋建築の構造を持つようになったそうです。「二條陣屋」と呼ばれるようになったのはのち文化財指定された頃からだそう。現在もお住まいとされていて、小川さん家の小さな男の子が陣屋の門からちょこちょこと顔を出す様子がなんともかわいい。そんなほのぼのした気持ちで門をくぐったのですが、中はまるで‥忍者屋敷でした。「防火設備」や大小の「お茶室」にも感心しましたが、大名護衛のために設けられたさまざまな仕掛けにびっくり。天井の「武者溜」「隠し階段」「落とし階段」いたる所にある「隠し部屋」等々。ここまでするの?なんだか逃げないといけないような気分に‥。一切の無駄のない造り、こんな陣屋の見学は初めてでした。ちなみに新選組の近藤勇も宿泊したことがあるのだとか?「凄かったね〜」と皆さんすこし興奮気味に感想を話しあいながらの次の場所へ向かいました。

三輪田綱一郎寓居跡付近

堀野酒造記念館前で記念撮影

すこし戻って二条城の西側、現在は「日航ホテル」の建つ『越前福井藩邸』跡へ。敷地内には「越前藩邸跡碑」「橋本左内寓居跡碑」がありました。橋本左内は藩主松平春嶽の右腕として活躍した人物ですが、条約問題・将軍継嗣問題では幕府の独断を許すべきでないと主張し、安政5年に上洛、それよりここ「越前藩邸」に起居し京の尊攘派公卿間を説いて回ったそうです。梅田雲浜ら時の尊攘志士とも交遊があった左内ですが、同じく安政の大獄時に捕らえられ、安政6年10月27日江戸伝馬町獄舎で斬首。またホテルの裏手には「京都守護職の屋敷門」が移築されていて、もうひとつ平安神宮隣の武徳センターにもあるそうです。これらに移築された経緯についてはまだ定かではないそうですが、春嶽が京都守護職に任命された時期があったこと、また会津藩の練兵場が平安神宮近辺の聖護院にあったことに由来するかもしれないとのことでした。

 二条城周辺からからすこし離れて西へ。着いたのは衣棚通二条の民家の立ち並ぶ一角でした。『三輪田綱一郎寓居跡』とのこと。ミワダ‥グウキョ‥はてこの人誰だったっけ?三輪田綱一、文久3年2月23日に起きた「足利三代将軍木像梟首事件」の首謀者のひとりだったそうです。伊予久米村、日尾八幡宮の神主で、この辺りが“その彼の邸跡”だそう。こんなマニアックなコースは大阪龍馬会イベントならでは、ここ“三輪田綱一郎寓居跡”にて、その後を追ってのお話がありました。京都守護職も設けられ幕府は京の治安維持強化を図りにましたが、文久3年に入っても尊攘派浪士たちの活動は依然として続き、それまで穏便に京の治安を守ろうとしてその浪士対策に悩んでいた守護職容保ですが、足利尊氏の首を将軍に擬し幕府を非難した「足利三代将軍木像梟首事件」に激怒し取締りを強めていったそうです。この事件が京都守護職の浪士弾圧の契機となったそうです。三輪田は5年間の幽閉、のち維新後は新政府に登用されたそうです。

 またすこし西へ歩いて勤王画家「森寛斎邸跡」へ。円山派の画家で長州尊攘派の志士たちと交流があり国事に奔走したそうです。テキストに紹介されていた書籍ですが、「長州の密偵森寛斎」神力要著 <御所の出入りする若き絵描き。潜み、探り、走る。もうひとつの顔‥。新しい視点からとらえた維新の青春群像。>なんだかとても面白そうなので読んでみたくなりました。

 そして烏丸竹屋町の「中沼了三講書」跡へ。中沼了三は隠岐島島後生まれの儒者で、学習院講師、孝明天皇の儒官となった人物。ここに私塾を持ち西郷従道、中村半次郎、中岡慎太郎なども塾生であったそうです。天誅組や十津川郷士に興味を持った時にすこし知った人物だったので、私の中では“十津川の先生”のイメージでした。文久3年、御所の警備に出仕した十津川郷士でしたが、学問や作法もなかったため嘲笑の対象となり、中沼はそんな十津川郷士を親切に指導し、また郷中の若者の教育の必要性を感じ、内勅により「文武館」を設立。教育にあたったそうです。現在の十津川高校で、修学旅行などで中沼の出身地隠岐島などを訪れるなど、今も交流があるのだそう。

 頼山陽寓居跡、目明し文吉邸跡、望楠軒跡、なども予定されていましたが、最終のコース「堀野記念館」の予約時間もせまったので、そちらへ向かうことに。造り酒屋「堀野記念館」では、酒造工程や町屋の造り、当時の商いの様子など、記念館の方にお話いただきました。案内ツアーの後、名水“桃の井”でつくられたお酒を試飲。今日は一日中真夏のようなお天気で、‥身体はほとんど干からびていましたが、美味しいお酒でちょっと復活。皆さんそれぞれ試飲を楽しんだり、お土産を選んだり、ゆったり過ごされたようです。

 さてすこし重い腰をあげ出発。解散地となる駅へむかいましたが、途中「御所」の堺町御門の前を通ると、「久坂がいるぞっ」とかまたまたハイテンション。幹事さんの“オフ・御所ミニコント”に笑わせてもらいながら、烏丸丸太町駅へ。ここで本日の講師北浦さんから締めのお話があり、解散となりましたが、ほとんどの方がつづいて、二次の懇親会にも参加されました。

各テーブルにていっこうに話は止まないようでした。このようなイベント、時間をつくってくださる、大阪龍馬会の幹事の方々に感謝。本日の講師北浦さん、随所ユーモアを交えた解説に、暑い中も足早についてゆくことができました。今日のイベントにまた新たなヒントをいただくことになりました。ほんとうにありがとうございました。

京都国立博物館見学と高瀬川史蹟探訪
 今年の夏も暑かったですね。酷暑の中、8月14日、京都国立博物館主催の「龍馬の翔けた時代−その生涯と激動の幕末−」見学会を行いました。

 いつもながら真夏の時期に開催される展示会。今回はこれほど集まるか! と驚くほどの史料が展示されました。龍馬の手紙があるわあるわ! かくいう私も3回行きまして、平均鑑賞時間は3時間という、龍馬ファンにはたまらない展示でした。

 博物館はそんなに混んでいなく、手紙もじっくり見ることが出来ましたし、薩長同盟の裏書きのところで、長時間立ち止まって穴があくまで見ることが出来、ごちそうさまでした。京都国立博物館でじっくり龍馬の手紙をたらふく鑑賞した後に、高瀬川の史蹟探訪はさぞお疲れになったことでしょう。約6時間以上座ることなく、蒸し暑い京都を堪能できましたね。

 雨も降ることなく、高瀬川を16時30分からスタートして、あっちこっちうろうろしましたね。初めての人から、十回以上の方まで、ご苦労様でした。夕方といえども気温は30度以上、その中を2時間たっぷり歩きました。さぞ皆さん疲れたことでしょう。その後のビールはうまかった。

コースは以下の通り。
京阪三条駅→小川亭跡→豊後屋跡→高山彦九郎銅像→三条制札場・三条会所跡→長州藩邸跡・桂小五郎銅像→角倉了以邸跡・第二無鄰庵→島田左近暗殺現場跡→大村益次郎寓居跡→大村益次郎遭難地→佐久間象山遭難地→桂小五郎・幾松寓居跡→平野国臣潜居跡→加賀藩邸跡→佐久間象山寓居跡→武市半平太寓居跡→吉村虎太郎寓居跡→対州藩邸跡→頼三樹三郎邸跡→池田屋跡→古東領左衛門寓居跡→三条制札場跡→酢屋→後藤象二郎寓居跡→彦根藩邸跡→土佐藩邸跡→本間精一郎遭難地→近江屋跡・坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地→中岡慎太郎寓居跡→谷守部(干城)寓居跡→古高俊太郎邸跡→中村半次郎寓居跡→宮川助五郎寓居跡→京阪四条駅

  • ご案内ありがとうございました。知識の奥深さにびっくりです。知らないことばかりでとても為になりました。パンフレットもすごくよかったです。というよりすごいです。どんな案内本より内容が濃いですね。解説も親近感がある言葉でおもしろかったです。というよりすごいです。上部だけの知識じゃなくて身になっているというか・・・すごい! 半日で、2時間半も博物館に行った上にあれだけの案内をしてもらって儲けものでしたね!
  • 博物館でのガイドありがとうございました。あんなに熱心に説明していただき、すごく分かりやすくて、2倍楽しめました。高瀬川コースは最初は快調でしたが、後半からは私の足は限界に近づき、ついて行くだけで精一杯でした。時折、事務局長さんの声が遠くなり、もう限界という状態になると、グッドタイミングで「大丈夫ですか?」と何度か声をかけていただき、我に返ることができました。あんなにしんどかったのにもう京都に行きたくなっています。不思議ですね。
  • 個人的には、前期に続いて後期の見学で2回目になるのですが、何度見ても龍馬の手紙は言葉ではあらわせない感銘を受けます。大阪龍馬会10周年記念イベントで寸劇をやった際、龍馬役を演らせていただいたのですが、その時に読み上げた手紙の実物を見たときは特に感動しました。そして博物館見学後の史跡めぐりもよかったです。事務局長さんの説明は各箇所でエピソードを紹介されるので本当にわかりやすく、頭が下がります。
  • 2年ぶりの京博でしたが、やはり感動しました。特に、薩長同盟の裏書きが一番でした。何回行っても良いものはやはり良いですね。その後の高瀬川案内も良かったです。久しぶりの高瀬川でしたが、正直知らなかった史跡もいくつかありました。私ってまだまだ勉強不足なんだな、と思い知らされました。何回も汗をぬぐいながら案内して下さった事務局長さん、ありがとうございました。
  • 龍馬大学、京博+高瀬川案内と参加させていただき、大変得をしたような気分で、その上楽しい飲み会もあり、楽しい時間を過ごさせて頂きました。どうもありがとうございました。龍馬会のみなさんも気さくな方ばかりで、大変居心地がよかったです(笑)。また、今後とも参加させて頂こうと、いやいやちゃんと”入会して”参加させて頂こうと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久し振りに龍馬会に参加できて楽しかったです。主人と京都に行くとほとんどが龍馬さんがらみです。京博のペルリの似顔絵にびっくり・・・。なんでみんな天狗みたいにかいてるの?って。で漢文はちん文漢文(ちんぷんかんぷん)でしたし。京都、高知、福井と龍馬さんの展示物を見ていると、見覚えのあるものもいくつかありました。上野彦馬のカメラの実物を見られたのはラッキーでした。あのカメラって、たしか、レンズをのぞき込んだら上下がさかさまに見えるタイプじゃないのかな・・・。と。私の父がもとカメラマンで父のカメラをよくのぞき込んでました。でもよく残っていたと思います。
  • 緑濃くなりつつの京都、夏日に近い暑さの中、額に汗して詳細な説明と案内有り難うございました。参加させていただくたびに感動と感心が積み重なって参ります。 

このようなすばらしい展示会を開催してくれた京都国立博物館に感謝します。そして主任研究官の宮川さんに拍手!!

この図録が2500円は安い! まだの人、是非購入を!!
龍馬大学校・2005
 今年も酷暑の中、土居晴夫先生もお越し頂いて、講師緊張の中、7月31日に愛日会館にて「龍馬大学校」が開催されました。2年ぶりの大学校とあって、講師は2ヶ月前から何を話そうかもがいておりました。

 そして選んだテーマが「坂本龍馬」でした。最近の大阪龍馬会は、マニアックなイベントが多く、もう一度原点に立ち返り、龍馬について学び直そう!ということになりました。

 自称龍馬研究家のたくさんおられる中では、原点中の原点でいこうと考え、「龍馬伝説」を取り上げました。龍馬伝説の起源と逸話を中心に「この話はこの本からきている」とか「この逸話は創作であった」など、有名人だからこそある面白い話を、資料を基にしてお話ししました。3時間という長い間、お付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。大阪弁の龍馬もたまにはいいでしょ。

 当日のアンケートと掲示板より感想を紹介します。

1,本日の講師・事務局長のお話はいかがでしたか。感想などお書き下さい。

  • とても楽しかった。大阪弁の龍馬が良かったです。
  • 久し振りに龍馬龍馬していて楽しかったです。またお話しもわかりやすくて面白かったです。最近龍馬の本をあまり読んでいなかったのですが、「やっぱり龍馬っておもしろい!」と思いました。短時間で暗殺の直前までお話しされたのでさすがやと思いました。
  • 満足しました。再度お願いします。史実的には?でしょうが、エピソードが沢山大盛りで大変嬉しく聞きました。脱藩の所は力が入っていたように思えて、聞く方も力入りました。ゴミ袋と香水実験ユニークで可笑しいぐらいgood!
  • 初めて参加しましたが、とても楽しく聞かせて貰いました。あまり詳しくなかったので、今回のようなテーマで良かったです!! もっと勉強してついていけるようになりたいと思いました。
  • これだけ龍馬のことを復習する機会をいただきありがとうございます。この年表は大変見やすいし、面白いですので帰ってゆっくり見ます。
  • 龍馬について再認識させていただきました。
  • 初めて出席しましたが、話が非常に分かりやすく長時間ではありましたが勉強になりました。
  • とてもわかりやすく楽しいお話しでした。それにつけても慎吾さんの読書量の多さと、記憶力のすごさには頭が下がります。私などは以前に読んだ本の内容は大部分忘れてしまっていて本当に感心しています。
  • 今日は一日お疲れ様でした。坂本龍馬に対してあらためて色々見直すことが出来ました。
  • 軽快なトークで時には関西弁も交えながら、分かりやすく楽しく聞かせていただきました。最近龍馬から離れていたので初心者の気持ちでした(本当はダメですよね・・・)。とても良い龍馬大学校でした。事務局長どうもお疲れ様でした。
  • 話のテンポがいいので、とても聞きやすく、内容も分かりやすかったので、3時間があっという間に感じました。話の中にいろんな人が龍馬について語っている内容を聞けたので、より龍馬の人物像が想像できて楽しかったです。これは龍馬について多く調べた人でないと言えないなーと思いさすが事務局長さん!と感じました。
  • となりに座った貴婦人の方が言われていましたが「同じ興味を持つ人たちと話せる場があってよかった。」と。私もそう思います。
  • それにしても、ジュニアたちの成長の早いこと!この前までベビーカーに乗っていたのに・・・。
  • 史実をたどるのは大変ですね。筆まめな人たちのおかげでいくつかの断片はわかりますが、どうしても空白部分が多い! さらに、英雄にするためにあることないこと書いてオーバーになりがちだし・・・。いつの世にも司馬遼太郎さんみたいな人はいますしね。(創作と史実が混じっちゃってどこまでが本当かわからない)
  • まあ、私も作家だったら、はっきりしてないことをいいことに「龍馬は生まれた日と死んだ日が一緒」「おりょうさんは取るものも取らずに走った」にしたほうがドラマチックだ、と考えます。
  • 講演を聞いているうちに「新選組!」ではどうだったか気になりました。そんなわけで「新選組! を斬る!」なんて企画はどうでしょう? けっこうリアルタイムで見ていなかった方もいると思いますし、「龍馬会的にはここがアウト!」(←俳優さん個人ではなく、史実として)なんか教えていただくとおもしろそうだなと思います。
  • 今回のテーマは、龍馬の生涯を順を追ってお話していただいたので、龍馬初心者のわたしにはすごく分かり易かったです。また、懇親会での「暗殺ミニ講座」も大変おもしろかったです。事務局長様のお話は、人を引き込む不思議なパワーがあり、少々酔っていたにぶいわたしの頭にもスーっと入ってきました。
  • 解かり易い龍馬話を聞かせて下さって有難う御座いました。あぁ〜そんな事を書いてあった本があったなぁ、などと思い出して懐かしく楽しい時間を過ごさせて頂きました。事務局長さんにとっても随分昔?に読んだ書物類だっただろうから、又、調べなおすのに大変な時間を費やしたのではないでしょうか?本当にご苦労様でした。たまに初心に帰って龍馬を語るのも良いものですね。
  • 子供が予想以上に騒ぎまわって迷惑をかけたのでお詫びを書かなくちゃと思っていました。父親の声がするのに、近くに行けない、かまってくれない・・・。「パパッ子初めての試練」とはいえ、講演会最中に大変失礼しました。騒いでも誰からも苦情がありませんでした。それどころかいっぱい遊んでもらって、ありがとうございました。
  • 龍馬大学ご苦労様でした。そして久々の龍馬話をたくさんありがとうございました。
  • すでに知っていると思っている事でも解釈が色々あるんだなーと思いました。そこが歴史の難しい所でもあり、楽しい所でもあるのでしょうね。手紙などもどうしても私は現在の視点から見てしまうけど、当時の世の中の状況や龍馬の状況などと並べて見ると全く違う見方が出来るなと感じました。そうかー、だからこの手紙を書きたくなった・・・なんて・・・。いつまでも初心者の感想ですみません。
大阪史跡探訪記
  • イベントの中でも「大坂の史跡を訪ねて」のシリーズは楽しみにしている一つです。大阪に長く居ても知らない史跡ばかりで、良くここまで調べたなと講師のマニアックさには何時も感心しております。特に、史跡の根拠としている史料の適切な選択に教えられることが多く、講師には感謝しております。今日はまずテキストの分厚さに驚きました。回る史跡について写真や史料をのせ解説を簡潔に加えているので、さもありなんとは思いますが、内容の充実さには脱帽いたします。今回が「大坂編」は完結とのことですが、「続編」や「他地域編」について、今後も講師の活躍に期待しております。有難うございました。
  • ほんとにそうですね。毎回感謝ばかりです。テキストも立派でもうけた気分です(笑)。大阪城に行った事がない唯一の参加者でしたが、なんとなく感覚的に規模がわかって貴重な体験でした。(小学校の修学旅行で行ったような行ってないような・・・もう8年も前のことで忘れてしまいました。)今度は天守閣に登ってみます。大砲が見たい!有難うございました。
  • お疲れ様でした。毎回このイベントのテキストと史跡の数に密かな楽しみを持つ「大坂の史跡を訪ねて」ファンの一人として、今回も楽しい時間をいただきました。ありがとうございます。ホント、このマニアックさには脱帽です。たまりませんね(笑)上のお二方とはイベント中、史跡の写真を撮るときによくがっちんこしておりました、、、。(笑)
  • 神戸の続編も楽しみですが、またいつか大坂の史跡を訪ねてシリーズ復活編を楽しみにしたいです。講師さん、お疲れさまでした。
  • 講師さん、ありがとうございました。何十年も住んでいる地元のことなのに知らなかったことがいっぱいあって驚きました。丁寧な説明ですごく分かりやすかったです。なんとかリタイアすることなく、全部回ることができたのも皆さんのおかげです。ありがとうございました。しかし、懇親会はリタイアしてしまい、申し訳ありませんでした。体力も腰も限界になって、あれから家にたどり着くと、ごろんと横になったまま眠ってしまってました。
  • 大阪史蹟探訪は本当におもしろかったです。有り難うございました。
  • 長く歩いたにもかかわらずあーという間に時間が過ぎ去り楽しませていただきました。次回は是非泉州方面〜和歌山での史蹟を検討してみてください。
  • 朝からの悪天候の雨も上がり(龍馬会には晴れ男さんや晴れ女さんがいらっしゃる!)、いい季節の中、楽しい時間を過ごさせていただきました。
  • 一生懸命の力の入った説明と案内にパワーをもらって、落ちこぼれず、しっかり天満橋までついて行けました。感謝しています。有り難うございました。大阪史蹟探訪は今回で終了とか。余り参加しておりませんでしたが、淋しいなあと思いました。今までの資料が有意義に使われますことを願ってやみません。ご苦労様でした。そして今後ますますのご活躍を!
  • 大阪史蹟探訪後、大阪名城伝。海音寺潮五郎の文庫本を借りて大阪城の謂われなど読み進めながら頂いた、すごく詳細に手間のかけた分厚いテキストとを照らし合わせて見てあらためて感謝一杯になりました。ありがとうございました。どのイベントもスタッフの熱い思いに感動します。

○講師より

 お疲れ様でした。これまでと比べて、歩いた距離が最も少なかったはずですが、いかがだったでしょうか?

 坂本龍馬に直接関連する史跡は今回無かったので、それを期待されていた方には大変申し訳なく思います。予定の時間内に計105箇所の史跡を案内することができ、本当にホッとしています。今回は大阪城や大阪の路面電車を利用するなど、大阪を知ってもらいたかったので関西圏以外の方にも参加していただきたかったなぁと思っています。

 今回の目玉(自分自身で思っている)は、「土佐藩住吉陣屋跡」「第14代将軍徳川家茂終焉の地」「徳川慶喜と外国公使謁見の場(白書院)跡」「大村益次郎寓居(漏月庵)跡」「豊臣期大坂城跡・徳川期大坂城跡・家康築城の天守跡」等のご案内です。
 今回のイベントで大阪はひとまず完結です。

大阪城前で記念撮影
墓前祭・2005
 2005年11月20日。大阪龍馬会恒例の墓前祭が開催されました。

 今年の参加者は17名といつもよりすこし少なかったようですが、とてもなごやかな雰囲気で、小春日和のなか京都東山界隈の史跡を案内いただきました。

 午後1時に霊山護国神社に集合。講師林さんのご挨拶の後、もちろんまずは龍馬、慎太郎、藤吉のお墓を参りました。お線香をいただきそれぞれ墓前に手を合わせました。紅葉にはすこし早かったのですが、いつの季節もここからの眺めは美しい。みなさんの表情がやさしくてとくになにかお話するでもないのに、ここに来るといつも微笑みあっていますよね。やっぱりここは特別な場所だなと感じました。今日は大阪龍馬会には稀な歩かないイベントだそうで、巡る史跡もいつもより少なめだそうです。でもその分ひとつの場所に時間を持つことができて、こんなイベントスケジュールもいいなと思いました。

 さてそれでもそうゆっくりとは出来ません、やっぱり龍馬会のイベントです。霊山の墓碑と人物を案内いただきました。さすがベテラン講師の林さん、墓碑の前に立つと自然とお話が流れるようです。土佐藩や長州藩の墓地にはじまり、天誅組の墓地、その三総裁のひとり吉村虎太郎の墓。‥梁川星巌、所郁太郎‥‥等。あげればきりがないのですが、そのなか村井政礼の墓前でのお話は印象的でした。尾張出身の廷臣で三条実美、姉公路公持らとも親しかった人物だったそうです。8.18の政変時に幕府を非難した罪で六角獄舎へ送られることに。同じころ奈良の五条で決起した天誅組浪士、それに続いた生野挙兵の首謀者である平野国臣らもぞくぞく捕縛され同獄舎へつながれました。村井は六角獄舎での獄中記『縲史』というのを残しているそうで、彼らが処刑された時の様子も記されているそうです。

≪予、時に上舎に在り。刑壇とする相去ること数間、人ごとに刑せらるるに臨み、声高にて予を喚して決別す。且罵り、且つ斬たるる者あり。初め将に刑せられるとする時、天色俄に黒く雨降り雷鳴る。惣ちにして刑終るに至るころ、即ちまた霽る。予親しく之を見て甚だ怪しむ≫

 浪士ら処刑者は村井へ決別の言葉を叫び受容していったという‥。『縲史』は当時の政情を知るうえでも貴重な資料なのだそうですが、林さんは「こうして私達が興味を持った人物の最期の様子、生の人間像を知ることができる、この村井さんもそうですが、手紙や日記など残してくれた事は、本当に尊いものですよね‥。」改めて、そうだなぁと村井さんの墓前にて感謝‥。「‥ので、皆さんも、ご自身の日記なども尊いものになるようにですね〜〜」これには一同苦笑い。村井政礼はその後も獄中にあり、慶応3年12月12日という動乱のさなかに西刑場にて処刑されたそうです。

 前後しますが、平野國臣の墓前にも参りました。「國臣の有名な歌はっ?」一行からすこし離れてアウトローしていた北浦さんに、いきなりふる林講師。

    “わが胸の燃ゆる想いにくらぶれば、煙はうすし桜島山”

 私の横にいらした栗田さんがちいさな声で一緒に口ずさんでられたのも印象的でした。2006年のイベントでは「生野義挙」も企画されているそうで、これも今から楽しみです。霊山では最後に木戸孝允、松子の墓前へ参りました。

 小休憩後、すこし西にくだり当時西本願寺の山荘(貸席)であった「翠紅館跡」(現・京大和)へ。文久3年正月、翠紅館にて各藩を代表する尊攘志士たちの合同決起集会が行われ、その頃から当時「学習院党」とよばれていた志士たちに利用されたそうです。前年の文久2年、津和野藩の新道学者福羽美静らにより、霊山(当時・霊明神社)で嘉永から安政の大獄などの多くの殉難志士の慰霊祭を行ったことから、新しく殉難する尊攘志士の霊も霊山に葬ることが決まり、それ以来霊山は尊攘派の聖地のようになり、霊山にちかいここ「翠紅館」が集会場所に選ばれたのだそうです。また安政の頃には勤皇僧月照が住居としたこともあり梅田雲梅や梁川星巌らも訪れたそうで、以前からも尊攘志士とは縁があったそうです。現在は「翠紅館会議」が行われた茶亭「送陽亭」が保存されているそうで、一同見学したくてうずうず‥。でも見学のみは不可だそうで、今回は残念でした。

 通称“ねねの道”を通り北へ、西行庵内にある「吟風弄月軒」へ。外観のみの見学でしたが、ここは久我家に仕えていた春日潜庵が洛西衣笠に建てた別荘の復元だそうです。潜庵は海外事情にも通じ孝明天皇の信任も篤かったそうで、当時の衣笠の「吟風弄月軒」には尊攘派志士たちが続々と押しかけ、その中には西郷、大久保、桂、なども出入りしていたのだそうです。

 つづいて「弄月軒」前の坂道を上り「長楽寺」へ向かいました。いつものように観光客で賑わっていた東山ですが、この坂道の参道からいつの間にか静寂のなかへ。創建1200年を迎える古刹の趣は別格でした。長楽寺は水戸藩と有縁であるそうで、その関係から徳川昭訓、原市之進、鵜飼吉左衛門・幸吉父子らのお墓があり、案内いただきました。なかなか急な山道で、受付からもけっこう距離がありました。訪れる人は少ないだろうな‥、墓碑はひっそりと忘れられたようにありましたが、寂しいというより静かな場所でゆっくり眠っているような雰囲気でした。この墓地一帯は「尊攘苑」とよばれているそうで、他に頼山陽、梨影婦人とその子三樹三郎のお墓があり、頼山陽はこの寺を愛したそうで遺言によりここに葬られたそうです。また境内では秋季特別展「足利氏と遊行上人」が開催されていて、こちらもみなさん熱心に鑑賞されていました。

 長楽寺の散策を終え、丸山公園の「龍馬・慎太郎像」へ。ここで集合写真を撮り、2005年の墓前祭は無事終了となりました。いつもより終了時間が早かったこともあり、続いての二次会にもほとんどの方が参加されました。この日は大いに盛り上がり、林さんにお話いただいた「いろは丸事件」などなど、どれもとても興味深く面白く、みなさん熱心聞き入っておられました。またこんな場が持てたらいいなと思った懇親会でした。本日の講師林さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

円山公園・龍馬と慎太郎像の前で記念写真